ちさのの日常的思考

ふだん思ったこと何でも書いてるブログ。真面目なことから馬鹿らしいことまでやってます。「今回の記事も相変わらずだな!」くらいの気持ちで読んでくれると嬉しいです。

生物と保健と恋愛の狭間

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……つまりはそういうことです。

語弊がないように言っておきますが、下ネタという概念で話しているつもりは決してない。


…………つまりはそういことです。包んで言えば「熱烈な夜を過ごすこと」に関しての話です。あ、逆に生々しい??

ちなみに今回の記事は、その「熱烈な夜(仮)」についてちさのなりに真面目に議論して、性教育に関しての話に帰着する記事です。本当に下ネタのつもりは決してないです(笑)

この先も「熱烈な夜(仮)」という言葉で話を続けようかと思いもしたのですが、この言葉が気になって何も頭に入ってこなくなるとよくないので、ここは議論らしく」「性交渉」という言葉を採用させて頂くことにします。

 

 

「生物」「保健」「恋愛」どの延長?

さて、タイトルにあるように、性交渉は学校教育や小中高校生の日常で言えば「生物」「保健」「恋愛」のいずれかの延長線にあたると思う。

今回の記事で私が用いることにした「性交渉」という単語を私が初めて耳にしたのは中学校の保健の授業です。そもそもこの表現が保健の科目的な表現なので、この記事の内容からするとやはり「熱烈な夜(仮)」と言ってしまった方が中間的なのかもしれませんが、まぁ、この点は置いておいて。

話を戻すと、そのあれは、「生殖のための行為」という観点からすれば生物科目の範囲です、これは私の時代では小学校4年くらいで学びました。また「身体機能」や「性感染症の感染源」とかいう側面からすれば保健の範囲です、これは科目として学んだのは中学生のころだっただろうか。

そして「愛情表現」「手をつないでキスがあって、その次!!」という意味で、恋愛の分野です。…………これをいつ知るのかという点は人によるのでわかりません。ちなみに、私は、その存在を知り始めたのはいつだったか覚えがありませんが、それに挿入を伴うと知ったのは中学生のころで、友人から聞きました。

さらに言えば小学生の頃に理科で生殖分野を学び、卵子精子が出会うことで生命が誕生することはわかったが、女性の体でつくられる卵子と男性の体でつくられる精子が教科書ではなぜ当然のように出会っているのかがわからず、母親に質問したことがあります。純粋に授業でわからないことがあったから聞いただけなのに、あの母親の微妙な表情と兄の微妙な「俺は知ってるー…」の意味を知るのはこれからまだ数年先のことだった。……ちさのはそんな子でした。

この私の経験を踏まえて言えば、学校教育カリキュラムによって得られる性交渉というものの知識は、まず、生物の授業での生殖として学び、保健の授業で身体構造、性感染症を学ぶ。そしておのおののタイミングでどこかしらで恋愛という側面を学ぶ。

さて、我々のような成人したおとなにとって「性交渉」つまり、あの「熱烈な夜(仮)」は、理科の生物で学んだ生殖の延長線上にあるのでしょうか?保健の授業の延長線上にあるのでしょうか?

いや、違うでしょう。私のしれる限り、おおむねの大人は「恋愛という側面を基盤として」性知識を積み上げているように思います。

 

 

「恋愛」と「仕事」で“勝ち組”

さて、話は少し変わりますが、学校教育では社会で必要なことを学ぶ場だと思います。つまり、社会で成功するために必要な知識を学ぶということです。

何をもって成功と呼ぶのか、という議論はここではやめておきます。正直、私も何が「成功」で「勝ち組」なのか本当によくわかりません。

しかし世の中における「勝ち組」という言葉の使われ方からするに、「仕事がうまくいって高収入を得ている」「恋愛がうまくいって幸せな結婚をしている」。この2つの軸があるように思います。

学校で学ぶ勉学は、この前者になるために必要な知識だと思います。しかし、世の中で「勝ち組」という言葉を耳にするとき、この後者も並列して「勝ち」なのです。

つまり、学校が「社会で成功するために必要な知識を学ぶ場」なのだとしたら、恋愛についても学校で学んでしかるべきなのではないでしょうか?

世の中、おとなとこどもの明確な境界線なんてない、世の中だいたいスペクトラムだ!と思っている私にとって、「恋愛はこどもが知る必要のないこと」だという考えはよくわからないのです。学校で、恋愛という側面に全く触れる必要がないとは私には思えません。恋愛という科目を設けろとは言いませんが、なにか、恋愛も社会的に必要なことで学ぶべきことという考えが学校教育の仕組みの中にあってもいいのではないでしょうか?

「世の中だいたいスペクトラム」というのは私の過去のブログ記事ですので、興味のある方はそちらをご覧ください。

 

 

校則による性交渉禁止の根拠

さて、学校教育の中で「性交渉はしてはならないもの」という圧力があったように思います。私の母校(高校)では、妊娠が発覚して彼氏彼女の両者とも退学になった事例があると噂で聞きました。

では、なぜ駄目なのでしょうか?

社会的に「性交渉は絶対に永遠にしてはいけないもの」ということではないのでしょう。……そんなの、少子化に拍車しかかかりませんから。

なぜいけないのか、その点に関して、学校で教えられた覚えは正直ありません。

 

私が高校時代に受けた性教育らしいものと言えば1つだけ印象的なものがあります。あれは私が高校2年のときの長期休み直前のHR。数学教師だった担任の先生が黒板におもむろに謎の図形を書き始めた。無数の丸が直線や曲線で複雑につながれた図形だった。その図形を完成させた先生は、その1つを赤のチョークで塗りつぶして言った、

「この人が、HIV感染者。」

その線は、つながれた丸(つまり人)同士の間に性交渉があったことを示し、それによってすべての丸で表した人がHIVに感染する、そういう意味である。この話の目的は、長期休みの間に生徒間で性交渉が起こらないようにするための脅迫的なものだったのでしょう。

しかし、ならば、学生が性交渉をしてはいけないのが「感染症のリスク」が理由ならば、そんなもの、おとなにだってあてはまる。これは、学生に性交渉を禁止する論理的根拠にはならないと思う。

 

ならば、なぜ駄目なのか。私はこうだと思います。

「起こりうる全ての可能性に責任がとれないから」

仮に、妊娠したとき、その子を育てていくだけの収入があるのか。感染症に感染したとき、必要ならそれを家族に打ち明け、病院に行くという、適切な対処ができるのか、そんな覚悟があるのか。それらすべての責任をとることの覚悟をして、事に及んでその熱烈な夜を過ごしているのか。

……やるなら、こちらで脅迫して頂きたいと個人的には思う。

 

 

ちさの的な熱烈な夜のありかた

「起こりうる全ての可能性に責任がとれないから、性交渉してはいけない。」

これは、こどもの世界だけではなく、おとなの世界でもあてはまることだと思います。2度目になりますが、世の中だいたいスペクトラムですから、20歳を過ぎて急に常識が変わるなんてことないでしょう。

しかし、世の中には「経験がないことが恥ずかしい」とか「童貞キモイ!」とか、そういう風土があります。あ、後者はちょっと過激??でもあるよね、そういうの。

世の中だいたいスペクトラムだと思ってる私的には、ならば言いたい。

「じゃあ何歳でそれを済ますのが適切なんだよ!?そんな言うなら公に定めろよ!!!?」

そう叫びたいのである。

だから、いっそ、学校教育で言ってやってほしい。

 

「性交渉に及ぶのは、起こりうるすべての可能性に責任がとれるようにしてからにしなさい。それからでも、決して遅くはない。もし、経験がないことを笑われたり蔑まれたりなんかしたら、そんな異性、やめておきなさい。むしろ、そんなあなたの堅実さやまじめさ、誠実さに魅力を感じてくれる人と付き合いなさい。」

 

そして、こんな常識が、世の中に定着してくれればいいんじゃないかと、個人的に思っています。

性的な行為の健康上のメリットとか、そういうことを主張する方とは喧嘩になる主張かもしれませんが、私は、こうあってほしいなと思っています。

 

長い話になりましたが、お付き合い頂きありがとうございました!!

 

 

2016/01/17 画像を追加し、行間などを修正しました。内容に変更はありません。