ひとりで楽しむクリスマス☆後半戦
前半戦をご覧いただきました皆様、お待たせいたしました、ひとりで楽しむクリスマス☆後半戦(25日編)です。こちらの記事からご覧いただいた方は、是非とも前の記事の前半戦からご覧くださいませ。
さて、後半戦です。後半戦であるからには前半戦からの戦いの続きなのです。よってちさのの朝は早かった。起床は8時半だった。なぜなら今日のちさのにはまずこなさねばならないミッションがあった。嫌がる祖母をなんとかして病院に連れていくことである。(ちなみに通常のちさのは昼前まで寝てます。)
一応、皆様がご心配されるといけないので、ざっくりとこの件に関して報告させて頂くと、ちさのの完全なる杞憂でした。うん、そりゃ嫌だったよな、元気なんだもんな、病気じゃなかったんだもんな、ごめんよ、おばあちゃん。家を出る前に行きたくないとか言われてガチ切れしそうになってごめんよ。
祖母に対する申し訳なさに包まれた気持ちを、杞憂だとわかっただけでもよかったじゃないかとなんとか納得させつつ帰宅をして、ちさののセカンドミッションに向けた準備が始まる。セカンドミッションとは仕事である(ちさのの現職は15時開始)。しかし普段は昼前まで寝てるちさのである、午前中に活動しすぎて頑張れる気がしなかった。
そうだ、ケーキを食べよう!
もう頑張れないと思ったちさのの立案である。昨日食べるつもりでコンビニで買ったあのケーキが冷蔵庫に保管されている。スパークリングホワイトグレープジュースは今夜までとっておくとして、ケーキを食べよう。そう思ったちさのは冷蔵庫から着々とケーキを取り出してセッティングした。
それがこちら。カップに入っているのはちさの愛飲のインスタントコーヒーである。どうでもいい情報だと思うがブレンディだ。そして手前に置いてあるフォークはケーキ用ではなくパスタとか食べる大きさのもの。ちさの、本気で食べる。
うまっ!!
喜んでケーキを食べ始めた出勤前のちさの。このときの服装は仕事の制服だった。しかし1つ忘れていたことがあった。時刻は13時半、この時間は出勤前であるのと同時に昼食後だった。胃袋の収容能力とかいう問題よりも自分の血糖値が心配になった。そしてむしょうにインスタントコーヒーがブラックで飲みたくなった。その欲望に従いコーヒーを入れなおすちさの。
そのときの光景がこちら。食べかけのケーキが汚らしいとかそういうことは勘弁して頂きたい。ちなみにコーヒーを入れなおしたりいろいろしたが、ケーキを食べ始めてから完食まで10分とかかっていない。それがケーキをホールで食べるちさのの実力(?)である。
ちなみに言うとこのタイミングでケーキを食べ始めたちさのの本音の中には、今日も帰りにコンビニに寄りたいという思いがあった。 24日をコンビニで働いて過ごしたあのお兄ちゃんは25日も同様にして働いているのだろうか?あのお兄ちゃんもクリスマス両日を仕事で過ごすちさのの仲間なのだろうか?そんなことを思ってコンビニに立ち寄りたくて仕方なかったのである。
ともかくとして、ケーキを完食して元気を取り戻したちさのは無事に仕事に向かった。ちさのの現職は22時終わりなので途中で夕飯の休憩時間がある。梅干しおにぎりをもさもさ食べながら、今夜はどんなクリスマス☆パーリーをしようかなーとか考えていたところで休憩室に来た社員さんの言葉に衝撃が走った。
「ケーキ配ってるので、行ってきてください」
なんだと!?ケーキだと!?そんな動揺を半分は抱きつつ、もう半分で世の中の会社にはクリスマスになるとそんなイベントがあるのか、としみじみ思いながら言われた部屋に向かうと思ったより全力でケーキだった。バイキング用に小さく切ったケーキをみんなで分けてる感じかなと思いきや、がっつりケーキだった。「2カットも食べたらお腹いっぱいだね」みたいな声さえした。「私、去年のクリスマスにケーキをホールでひとりで食べたんですよねー」と言って絶句されながらケーキを頂きました。結局、ケーキを3カット頂いたあと、休憩室に戻って普通に弁当の続きを食べました。ケーキ、おいしかったです。しかしここでやはり血糖値が気になって仕方なかったのでおにぎりは1つ食べずに持ち帰ることにした。とりあえずビタミン剤も飲んだ。ちさのは糖をとりすぎたときはビタミンとっておけばなんとかなると過信している節がある。
もうこれだけケーキ食べれば、今夜はケーキはいらないかな。なにか食べ物じゃなくて楽しいことしたいな。そんなことを思いながら休憩を終えて仕事を再開した。そして黙々と仕事をしながら今夜の過ごし方について思い描いていたら私のおかしたある過ちに気付いてしまった。
このままだと、ワイングラスでスパークリングホワイトグレープジュースを飲みながらおにぎり(梅干し)を食べることになる!!
これは駄目だ、面白すぎる、駄目だ。いや、面白さは求めている、でもこれは違う。この面白さは求めてない。これは想像しただけで十分だ。実際にやるやつじゃない。こんなことを自分に言い聞かせながら思った。ならばどうすればいい?あのスパークリングホワイトグレープジュースを有効活用し、おにぎりもちゃんと食べるにはどうしたらいい?ちさのはどうしたらいいんだ…!!
お兄ちゃぁぁぁぁぁぁん!!!!!!!
ちさのは心の中でいつものあのコンビニのお兄ちゃんを思って叫んだ。きっとあのお兄ちゃんならすべての答えを知っている!!あのコンビニに立ち寄って商品を見たりお兄ちゃんと話したりすればおのずと答えは見つかるはずだ!!一時、そんな謎の興奮テンションになりながらちさのは無事に仕事を終えて、そしてあのコンビニに向かった。
仕事中、今日はあのお兄ちゃんがいないみたいなよくあるパターンになったりするんじゃないかとか思いもしたが、コンビニには今日もあのお兄ちゃんがいた。「すみません、クリスマスのシフト変わってもらってもいいですか?」とどこか照れ笑いで同じ時間帯で働く仕事仲間に言われて「あー、いいよ、予定とか特にないから」と事情を察して苦笑いで受け入れるみたいなドラマがあのお兄ちゃんにはあったのかもしれない、といらないことを考えながら買い物をする。
そんな買い物で目についたのは、小さいベイクドチーズケーキがいっぱい入った箱である。そしてこの商品はいつだかあのお兄ちゃんが紹介してくれたチーズケーキだ(お兄ちゃんの中では私はチーズケーキキャラで確立されているのかもしれない)。このチーズケーキならスパークリングホワイトグレープジュースを飲みながらちみちみ食べられる!そんな喜びから購入を決意し、それからついでにクリスマスっぽくチキンも買っておいた。
ちなみにあのお兄ちゃんとはお客さんが多くて昨日ほど会話してる余裕がなかったので、帰りがけに「あ、そうだ、メリークリスマスですー」「あ…、ありがとうございます」みたいな会話をしてきた。お兄ちゃん、君はクリスマスも働く同士なんだ。
まずこちら、チキンとおにぎりセット。グリーンスムージーはビタミンが取りたかった。スムージー本当に摂取可能か知らないが。
次にこちらがスパークリングホワイトグレープジュースとチーズケーキのセット。
両方開けたらこんな感じ。
そして現在、後者のセットを食べ飲みしながらこのブログを打ってます。
本イベント「ひとりで楽しむクリスマス☆前半戦&後半戦」はこんな感じで終わりになりそうです。振り返ってみれば、ちさのは果たしてクリスマスをクリスマスとして楽しんだのかと言うと正直に言えば疑問が残る。これらは完全にアホなちさののアホなことを考えたアホな日常である。主なイベントはアホな思考だったと言っても過言ではない。しかしながら、この2日間ちさのは確かに楽しかった。こんなアホな日常のようなことがブログで記事として成立するには背景にクリスマスというイベントが必要だったのではないかとも思う。「ひとりで楽しんだクリスマスの報告」ではなく「このブログを書くこと、そのためにいろいろ考えて過ごしたこと、それらすべてを含めて楽しいクリスマス」だったと思います。
イベントを含め物事の楽しみ方なんて人それぞれ。こうやって過ごしてここを楽しみなさい、なんて拘束があったら、それって本当に楽しいのかちさのにはよくわからない。
最後ちょっと真面目なこと言っちゃったので、記事を終える前にアホなことを言っておきます。ちさののクリスマスシリーズ「ひとりで楽しむクリスマス☆前半戦」「ひとりで楽しむクリスマス☆後半戦」に加え「ひとりで楽しんだクリスマス☆延長戦~しいていうなら理想のクリスマス(妄想)編~」を書こうか迷ってます。内容としてはTwitterで呟いたしいていうなら理想のクリスマスの拡張の予定です。このブログにコメント欄をつけてないので連絡感想はTwitterで@aspara2525にお願いします。クリスマス妄想したのもこのアカウントです。
前回と比べて勢いに欠く後半戦だったんじゃないかなと思いますがお付き合い頂きありがとうございました!!
ひとりで楽しむクリスマス☆前半戦
12月24日です。日付はもう25日ですが24日です。世の中はなんかきらきらぴかぴかしゃんしゃんしてるクリスマスイブです。
……そんな日をちさのは当然のように一人で過ごします。
ここで誤解してはならないのはちさのは望んでイベントを一人で過ごせる人間である。
ヒトカラに行くなんて序の口で深夜のオールカラオケも一人でこなし、この前(といっても一年近く前)の自分の誕生日には一人でケーキバイキングに行って誕生日サービスを受けてくるような人間である。ちなみに去年のクリスマスはコンビニで半額になったホールのケーキを切らずに食べて一人で完食した。おいしかったです。
去年のクリスマスというのは一人暮らしをしていたので必然的に一人になったのであるが、現在のちさのは実家暮らしである。だから、家族と過ごそうと思えばもちろんそれも可能である。しかしあえてそれをしないというのがこのクリスマスの方針である。
いや、実際、会うけども。一緒に住んでるから会うけども。それでもあえてクリスマスイベントは一緒にやらない。なぜならうちの家族はちさのと違い、なぜか悲壮感が漂っている。仕事から帰ったちさのが「今日一日クリスマスっぽさがなくてつまんなかったから車の中でクリスマスソングを歌いながら帰ってきた~」と言えば「そりゃ仕事なんてクリスマスっぽさはないだろ、職場でクリスマスソングが流れてでもしないと。」と後半の歌いながら帰ってきたちさのの明るい感じの部分ではなく、前半の寂しい感じの部分に着目して返答を返すくらい謎の悲壮感を漂わせている。
ちなみに車の中で歌ったクリスマスソングは、「赤鼻のトナカイ」に始まりそれを3回くらい歌ったあたりで飽きたので「もろびとこぞりて」を2回歌ってまた飽きて「きよしこの夜」を歌ったら2番があった気がしたけど思い出せなくなった。
ここまで歌ってちさののクリスマスソングメドレーは中断された。なぜかというと、よく仕事終わりに立ち寄るコンビニに着いたのである(家についた訳ではない)。
コンビニに来た当初の目的は「25日の夜には半額になっているであろうホールのケーキの下見」だったのだが、ここで予定外の事態が起きた。ホールのケーキは予約だけだった。さすが田舎、行き当たりばったりに立ち寄ったコンビニでケーキをホールで買うやつなんかいないのか(もちろんその店舗だけかもしれないが)。そんなことを考えながらクリスマスっぽさを漂わせたカットケーキたちをガン見しているちさのの耳に「あ。」という声が聞こえた。いつものコンビニの店員のお兄ちゃんである。
このお兄ちゃん、私が仕事終わりにこのコンビニに立ち寄るとよくいるお兄ちゃんで、私がこのコンビニの商品でとても気に入っているチーズケーキタルトがいつも売り切れていてなかなか出会えないという話をして以来の仲である。ちなみにこの話をした翌日に仕事前に立ち寄ったら無事にそのチーズケーキタルトがあり、そのお兄ちゃんから「あ、ありましたか?」という微笑みをもらった。そういう仲(?)である。
そんな過去の回想はさておき、そして今日もこのお兄ちゃんとの会話が始まった。「あ。」という言葉にとりあえず「あ、どうも~」と返しておいたが、「あ」って一体何だったんだろう。「あのいつも22時過ぎに現れてスイーツコーナーをガン見してるあの人はクリスマスでホーリー☆ナイトしてて今日は来ないんだろうなー」とか思っていたとかそういうことなのだろうか。安心してくれお兄ちゃん、今日も明日もちさのは仕事だよ。
そんなくだらないことが脳内で繰り広げられていようがお兄ちゃんとの会話は続き、「そこのケーキ、今年は種類が増えましたよ」というお兄ちゃん。もうこの流れ、ちさののコンビニ立ち寄りは下見だけじゃもちろん済まない。お兄ちゃんの圧力とかそういう問題ではなく、ちさののノリとかそういう問題で。
その棚に陳列されたケーキから1つ選んでレジに向かい、いつもどおりホットコーヒーを買おうとしてカフェラテが導入されたとか言われてやっぱりカフェラテにしたり、「今年はいつまでお仕事なんですか?」「私、年末休みとかないんですよねー」「大変ですね、まぁ自分も似たようなもんですけどね」「あ、コンビニってそうですよね」「まぁ予定ないんでいいんですけど(笑)」みたいな会話をして会計を終える。そして今日もコーヒーメーカーの「一回ピーと音がなって完成したとおもいきやまだできてない」トラップに引っかかる。そしてこれもこのお兄ちゃんに見られている。
それから、赤信号で停止して車の中で一人「ケーキ無事!?」とか叫びながら無事に帰宅して、軽く家族と会話してから部屋に戻る。この軽い会話の中で冒頭の「クリスマスソングを歌って帰ってきた報告」をした、そうしたらあんな返答だった。
そしていろいろセッティングして撮った写真がこちら。
左のボトル、シャンパンではない。「スパークリングホワイトグレープジュース」である。職場で「19歳も23歳も似たようなもの」と言われてもらった。ちさのはこれでももうお酒は全然飲める歳です。
右にあるマイクがなぜここにあるかというと、クリスマスのこの謎のテンションをお伝えするためにクリスマスソングを歌って録音しようかと思ってここに持ってきた。しかしマイクを目の前にすると真面目になってテンションが下がるという現象が起きて、いまだに良いものは録音できていない。
ちなみにこのブログを打っている今、もうケーキを食べてスパークリングホワイトグレープジュースを飲んだのかというとそうではない。ひとりクリスマス☆パーリーするなら明日も仕事だしすぐに寝れるように風呂に入ってからの方がいいだろうとか思って風呂に入り、ブログに上げるなら長くなりそうだからここまでの出来事を書いてからパーリーを開始しよう、とか思ったのである。今ココである。そして深夜2時というのはちさのの寝る時間である。
……いや、今日、ホントにパーリーする気だったよ?どこぞのゲームの奥州筆頭くらいのテンションでパーリーする気だったよ?普通のコップでスパークリングホワイトグレープジュース飲むのは味気ないなと思ってワイングラスの捜索だってしたよ?みんなの実家の我が家にないはずがないとか思ってワイングラスを捜索したら「ワイン用コップ」とメモ書きされた箱が出てきて複雑な気持ちになりながら発見したよ、ワイングラス。
現状、私の管理下にある小型冷蔵庫の中にケーキとスパークリングホワイトグレープジュースを保管している。いずれも未開封。きっとこれは明日(日付的には今日、しかしまたこんな時間になるだろうから結局明日)のための準備だったということで。
明日もこんな感じで「ひとりで楽しむクリスマス☆後半戦」をお届けします!
ちなみにちさのは明日、仕事以外に1つ予定がありますが、それは「嫌がる祖母をなんとかして病院に連れていくこと」です!!クリスマス感は欠片もありません!!
それではたぶんきっとまた明日!!おやすみなさい!!
アメブロから移転いたしました。
タイトルのとおりです。
このたび、ブログをアメブロ(http://ameblo.jp/chisa759/)から移転しました。
動機はほとんどちさのの気まぐれです。
旧ブログの記事は全て「アメブロから転載」のカテゴリに転載しました。
それほど量も多くなかったので手動のコピペの引っ越しです。よって日時は作業した日です。
旧ブログであるアメブロの方もしばらくは削除せずにおいてくつもりです。
きっと皆様も私自身も忘れたころに削除します。
それからついでにですが、しばらく前に作っていて用途に困っていたTwitterアカウント(ちさのん @aspara2525)を当ブログの更新報告に用いることにしました。
たぶん今後は更新報告兼、「ちさのの日常的思考・Twitterバージョン」みたいな感じで活用されていくと思います。
……つまり、真面目なことから馬鹿らしいことまでなんでも言います。結局はただのちさのです。
それでは、これからはこの新規「ちさのの日常的思考」をよろしくお願いします。
----2015/12/26追記
知人からアメブロから転載した過去の記事の画像が見れないとの報告があったので修正しました。これでもう大丈夫かと思います。
また同時に投稿日時をアメブロに投稿した日時に変更しました。転載に伴い改行や行間が読みずらいところもあるので今後まったり直していくことも検討しています。
星は宇宙、ハートは臓器
つまり、星はハートよりも壮大である。
※この記事はTwitterの「☆お気に入り」が「♡いいね」になったことに関する話です。
※口調が堅いのは「どうでもいいことを真面目に語る」という種類のジョークを目指したかっただけです。ただのブログです。途中でいつものテンションに戻ります。
※口調の割には論理が雑なのはそういうことです。
2015年11月4日午前0時頃、Twitterにあった「お気に入り」機能の名称が「いいね」に変更され、これに伴いアイコンのモチーフも星(☆)からハート(♡)に変更された。
本変更は名称のみの変更であり、機能自体の変更はない。
しかしながら、この変更にユーザーからはさまざまな声が挙がっている。
名称に呼び名としての価値しかないのなら、変更する必要もなく、ユーザーからの反応もないはずである。
本記事では、機能自体には変更を伴わないにもかかわらず、なぜこのような変更がなされたのか、なぜこれほどまでにユーザーが反応をしたのかを検討する。
1. Twitterのユーザーの分類
本件を検討する前に、まずTwitterのユーザー、すなわちアカウントの分類を行う。
Twitterユーザーは大きく以下の4つにわけられると考える。
① 主に告知などを行う公式アカウント
② 自動でツイートを配信し続けるbot
③ Twitterをコミュニケーションツールとして用いるリア充
④ Twitterを居住地とするTwitter住民(コミュ障)
以上4種類に分類できる。
それらの中間的なユーザーも存在するが、それらはごく少数で、概ねはこの4種類のいずれかに属すと考える。
2. 「☆お気に入り」と「♡いいね」のルーツと印象の違い
本項では、これら2つのルーツからそれぞれの与える印象の違いを探る。
「☆お気に入り」、すなわち星印をもってお気に入りと呼ぶことのルーツはどこにあるのだろうか?
本記事の筆者の知れる限りでは、それはブラウザソフト「Internet Explorer」の15年以上前のバージョンのブックマーク機能にある。
当時はブックマーク機能の名称が「お気に入り」でありそのモチーフが黄色の星であった。
すなわち、「☆お気に入り」というのは、「そのツイート内容が気に入ったといいう意思表示」という以上に、「そのツイートを見失わないように保管しておくブックマーク」というニュアンスがあった。
対して「♡いいね」のルーツはとこにあるのか。
「いいね」という言葉の機能はSNSでしばし見かけるものである。
それ以上前のルーツはわからないが、「いいね」という言葉の「いい+ね」の「ね」という部分が重要だと感じている。
「いい」でも「いいな」でもなく、「いいね」なのである。
「いいね」というのは「良いと思ったからだれに伝えるわけでもなくただつぶやいた」という言葉ではない。
「良いと思ったということを誰か相手に伝えて賛同さえ求める」ような言葉である。
すなわちこの「♡いいね」には「その投稿内容に好感を持ったことを伝える」というニュアンスがある。
……しかしfacebookでは親指を立てたgoodのマークに「いいね!」であり、mixiにおいてはモチーフはハートであるものの言葉は「イイネ!」であるという微妙な違いは何なのだろうか?(筆者が最後にmixiを確認したのが数年前なので記憶が曖昧なうえに現状は把握していないが)。
3. 想定される各ユーザーの反応
「☆お気に入り」と「♡いいね」の違いを論じたところで、項目1で分類した各ユーザーにとってこの変化だどのようなものだったのかを考える。
まず、①の告知を行うアカウントの場合、正直「☆お気に入り」だろうが「♡いいね」だろうが大差ないと思う。
「○月○日にイベントをやります!」が、「☆お気に入り」でブックマークされれば「あぁ、来てくれるから日時を忘れないようにしてくれているのだなぁ」と思うだろうし、「♡いいね」がされれば「このイベントに好感を持ってくれているんだなぁ」と思うだけで正直大差ない。
次に②のbotだが、これも同様に大差ない。
そして③のリア充。
彼らはコミュニケーションツールとしてTwitterを用いているので、むしろ「♡いいね」のほうが望ましいだろう。
相手のツイートを見失わないようにするブックマークとしてよりも相手にその内容に好感を抱いたことを伝える方がコミュニケーションではある。
それがやつら、リア充という生物である。
最後に④Twitterを居住地とするTwitter住民(コミュ障)である。
彼らにとって、この変更は深刻な問題なのである。
彼らにとってTwitterは居住地である。
誰かとコミュニケーションのための誰かに伝えるためのツイートというよりも、だだ思ったことをツイートする、まさにつぶやきなのである。
「コミュニケーションツールとしてではなく、居住地として使いやすいSNSであること」これがTwitter住民がTwitterに居心地よく住むことができた要因であると考える。
ツイートはタイムライン上に時系列でシンプルに表示され、誰かに当てた言葉であるリプライもそれと同じく並んで表示される。他のユーザーとのつながりも「友達」ではなく「フォロー」という関係も一方的な関係でいることができ、相手に気を使うわずらわしさがない。
今回変更された「☆お気に入り」もこれと同じく「一方的でいることができる」ニュアンスがあった。
それはやはり「☆お気に入り」に「気に入ったことを伝える」というよりも「見失わないためのブックマーク」というニュアンスが強くあるからだ。
しかし新しい名称である「♡いいね」は明らかに相手に向かった言葉であり、「一方的でいられる」というニュアンスを喪失している。
4. 本変更のねらいの推測
上記のようなことが想定される本変更であるが、ねらいは一体何だったのか。
考えられる選択肢を以下に上げる。
①他のSNS(facebookなど)との同一化で使いやすくする
facebookユーザーの増える中、「いいね」のほうが親しみやすい、そういう時代だと判断したのだろうか?
逆にfacebookと同じになってしまえば、両方を利用するメリットはなくなり、ユーザーは減少すると思う。
②「いいね」をSNSの共通語に育て上げる
Twitterのためでも何でもなく「いいね」という言葉のため、という可能性である。
Twitterも「いいね」を導入すれば、SNSに統一感が出る。
「いいね」という言葉がSNS界を統べる存在になる。
……こんなに「いいね」に支援して何の得があるのかは全くわからない。
③横行するふぁぼ魔の犯行を阻止する
「☆お気に入り」の登録が多すぎてTwitterさんが困っているとかいないとかいう話を聞いたことがあるようなないような気がする。
つまり、今回の変更は「ふぁぼ」すなわち「☆お気に入り」の方が「♡いいね」より使いやすいというTwitter住民の心理を逆手に取った作戦だったという可能性である。
思えば、最近導入された「投票」という機能も「AならばRT、Bならばふぁぼ」みたいな手段で行われていた投票を、こちらの新機能で行わせることによって「☆お気に入り」の件数を減らすためのものだったのかもしれない。
しかし、使いやすかったものを使いにくくするというのは、Twitterさん的にもデメリットがあるのではないだろうか?
5. 変更後の実情
「☆お気に入り」が「♡いいね」に変更された直後、この変更にまつわる言葉がいくつもトレンド入りを果たした。
その後もしばらくは、自宅付近の交差点で職質に遭いながらもTwitterの様子を見ていたのである。
「星のままがいい!」
「ハートが送られてくるとか変な誤解する!」
「☆で手裏剣攻撃がもうできないのか……」
「タイムラインに流れないようにふぁぼってたからいいねだと使いづらい!」
と、最初は批判的だったのである。
しかし、しばらくすると、
「これはハートではない!源氏パイだ!!手裏剣の代わりに源氏パイを投げつける!!」
……なんということだ。
使いにくさゆえにデメリットが大きいのではないかという筆者の危惧を払い除け、Twitterユーザーたちは使いやすい解釈をしようとしている!!!
なんという適応能力なんだ!!!
しかし、いくら源氏パイ解釈を加えようと、深層的にTwitter住民にとっての「♡いいね」の使いづらさは残ると感じている。
もし今回の変更のねらいが「横行するふぁぼ魔の犯行を阻止する」ことにあり、このTwitter民の適応能力の高さにより、過度に不便さを与えることはないと、ここまで読んでいたのだとしたら……。
「まさかここまでとはな」と言い残して来葉峠で死んだふりできる。
それくらいの脅威の推理力だ。
6. 今後の変更の予測と期待
「☆お気に入り」から「♡いいね」になった本機能であるが、今後はどうなっていくのだろう。
筆者の推測で可能性が高いものほど前半に、同時にこうあって欲しいと思うものほど後半に挙げていく。
①このまま「♡いいね」が採用される
まず、一番起こりうる可能性が高い選択肢である。
この変更のねらいが何だったのか確定的なものはわからないが、何らかのねらいに反さない結果が得られた場合こうなる。
②しばらくして「☆お気に入り」に戻る
次に可能性が高いと考えるのがこれである。
これはTwitterユーザー(おそらくTwitterを居住地とする住民)が、「♡いいね」に猛烈に文句を言った場合にまず起こりうる。
しかし、今回、わざわざ変更に出たのなら何らかの動機となる問題や懸念があるはずであり、元に戻してしまえば全く解決にはならない。
③同一機能でマークのみが違う「☆お気に入り」と「♡いいね」ができる
これは「♡いいね」を気に入る人、全く気に入らず「☆お気に入り」に戻すことを強く望む人が両極端にいずれも多かったときに起こりうる。
しかし、機能が同じであれば、いずれかが廃れる。
現状では長年に渡り使われてきた「☆お気に入り」が勝ち、「♡いいね」が廃れるのでないかと考えれれる。
こうなっては選択肢②と同じである。
④機能が違う「♡いいね」と「☆お気に入り」
これが、筆者としては一番望む展開である。
すでに何度か述べたように「いいね」という言葉には「相手に好感を持ったことを伝える」というニュアンス、「お気に入り」には「ブックマークして見失わないようにしておく」というニュアンスがある。
そのニュアンスの違いに則り、「相手に通知されるが自分のところにリストアップされない『いいね』」、「相手に通知されないが自分のところにリストアップされる『お気に入り』」という2つの機能に分列してほしい。
今までの「☆お気に入り」と同じ機能を得たければ、この両方をチェックすればいい。
また、この場合、従来の「☆お気に入り」が2つに分裂するという形になるので、一方の名称は「♡いいね」でいいとしてもう一方が「☆お気に入り」というのは望ましくない。
機能からして「ブックマーク」がいいのかもしれないが、これは少し堅い印象がある。
「しるし」「マーク」「スター」などいろいろ考えたが、個人的には「ふせん」が一番しっくりきた。
「ふせん」ならばモチーフは四角形で「□ふせん」がいいだろうか。
ひとりのTwitter住民として、居住地として居心地のいいTwitterであり続けてくれることを願いたい。
ちなみに、もし「□ふせん」が実現するならば、こちらは平家パイでお願いします(笑)
生物と保健と恋愛の狭間
……つまりはそういうことです。
語弊がないように言っておきますが、下ネタという概念で話しているつもりは決してない。
…………つまりはそういことです。包んで言えば「熱烈な夜を過ごすこと」に関しての話です。あ、逆に生々しい??
ちなみに今回の記事は、その「熱烈な夜(仮)」についてちさのなりに真面目に議論して、性教育に関しての話に帰着する記事です。本当に下ネタのつもりは決してないです(笑)
この先も「熱烈な夜(仮)」という言葉で話を続けようかと思いもしたのですが、この言葉が気になって何も頭に入ってこなくなるとよくないので、ここは議論らしく」「性交渉」という言葉を採用させて頂くことにします。
「生物」「保健」「恋愛」どの延長?
さて、タイトルにあるように、性交渉は学校教育や小中高校生の日常で言えば「生物」「保健」「恋愛」のいずれかの延長線にあたると思う。
今回の記事で私が用いることにした「性交渉」という単語を私が初めて耳にしたのは中学校の保健の授業です。そもそもこの表現が保健の科目的な表現なので、この記事の内容からするとやはり「熱烈な夜(仮)」と言ってしまった方が中間的なのかもしれませんが、まぁ、この点は置いておいて。
話を戻すと、そのあれは、「生殖のための行為」という観点からすれば生物科目の範囲です、これは私の時代では小学校4年くらいで学びました。また「身体機能」や「性感染症の感染源」とかいう側面からすれば保健の範囲です、これは科目として学んだのは中学生のころだっただろうか。
そして「愛情表現」「手をつないでキスがあって、その次!!」という意味で、恋愛の分野です。…………これをいつ知るのかという点は人によるのでわかりません。ちなみに、私は、その存在を知り始めたのはいつだったか覚えがありませんが、それに挿入を伴うと知ったのは中学生のころで、友人から聞きました。
さらに言えば小学生の頃に理科で生殖分野を学び、卵子と精子が出会うことで生命が誕生することはわかったが、女性の体でつくられる卵子と男性の体でつくられる精子が教科書ではなぜ当然のように出会っているのかがわからず、母親に質問したことがあります。純粋に授業でわからないことがあったから聞いただけなのに、あの母親の微妙な表情と兄の微妙な「俺は知ってるー…」の意味を知るのはこれからまだ数年先のことだった。……ちさのはそんな子でした。
この私の経験を踏まえて言えば、学校教育カリキュラムによって得られる性交渉というものの知識は、まず、生物の授業での生殖として学び、保健の授業で身体構造、性感染症を学ぶ。そしておのおののタイミングでどこかしらで恋愛という側面を学ぶ。
さて、我々のような成人したおとなにとって「性交渉」つまり、あの「熱烈な夜(仮)」は、理科の生物で学んだ生殖の延長線上にあるのでしょうか?保健の授業の延長線上にあるのでしょうか?
いや、違うでしょう。私のしれる限り、おおむねの大人は「恋愛という側面を基盤として」性知識を積み上げているように思います。
「恋愛」と「仕事」で“勝ち組”
さて、話は少し変わりますが、学校教育では社会で必要なことを学ぶ場だと思います。つまり、社会で成功するために必要な知識を学ぶということです。
何をもって成功と呼ぶのか、という議論はここではやめておきます。正直、私も何が「成功」で「勝ち組」なのか本当によくわかりません。
しかし世の中における「勝ち組」という言葉の使われ方からするに、「仕事がうまくいって高収入を得ている」「恋愛がうまくいって幸せな結婚をしている」。この2つの軸があるように思います。
学校で学ぶ勉学は、この前者になるために必要な知識だと思います。しかし、世の中で「勝ち組」という言葉を耳にするとき、この後者も並列して「勝ち」なのです。
つまり、学校が「社会で成功するために必要な知識を学ぶ場」なのだとしたら、恋愛についても学校で学んでしかるべきなのではないでしょうか?
世の中、おとなとこどもの明確な境界線なんてない、世の中だいたいスペクトラムだ!と思っている私にとって、「恋愛はこどもが知る必要のないこと」だという考えはよくわからないのです。学校で、恋愛という側面に全く触れる必要がないとは私には思えません。恋愛という科目を設けろとは言いませんが、なにか、恋愛も社会的に必要なことで学ぶべきことという考えが学校教育の仕組みの中にあってもいいのではないでしょうか?
「世の中だいたいスペクトラム」というのは私の過去のブログ記事ですので、興味のある方はそちらをご覧ください。
校則による性交渉禁止の根拠
さて、学校教育の中で「性交渉はしてはならないもの」という圧力があったように思います。私の母校(高校)では、妊娠が発覚して彼氏彼女の両者とも退学になった事例があると噂で聞きました。
では、なぜ駄目なのでしょうか?
社会的に「性交渉は絶対に永遠にしてはいけないもの」ということではないのでしょう。……そんなの、少子化に拍車しかかかりませんから。
なぜいけないのか、その点に関して、学校で教えられた覚えは正直ありません。
私が高校時代に受けた性教育らしいものと言えば1つだけ印象的なものがあります。あれは私が高校2年のときの長期休み直前のHR。数学教師だった担任の先生が黒板におもむろに謎の図形を書き始めた。無数の丸が直線や曲線で複雑につながれた図形だった。その図形を完成させた先生は、その1つを赤のチョークで塗りつぶして言った、
「この人が、HIV感染者。」
その線は、つながれた丸(つまり人)同士の間に性交渉があったことを示し、それによってすべての丸で表した人がHIVに感染する、そういう意味である。この話の目的は、長期休みの間に生徒間で性交渉が起こらないようにするための脅迫的なものだったのでしょう。
しかし、ならば、学生が性交渉をしてはいけないのが「感染症のリスク」が理由ならば、そんなもの、おとなにだってあてはまる。これは、学生に性交渉を禁止する論理的根拠にはならないと思う。
ならば、なぜ駄目なのか。私はこうだと思います。
「起こりうる全ての可能性に責任がとれないから」
仮に、妊娠したとき、その子を育てていくだけの収入があるのか。感染症に感染したとき、必要ならそれを家族に打ち明け、病院に行くという、適切な対処ができるのか、そんな覚悟があるのか。それらすべての責任をとることの覚悟をして、事に及んでその熱烈な夜を過ごしているのか。
……やるなら、こちらで脅迫して頂きたいと個人的には思う。
ちさの的な熱烈な夜のありかた
「起こりうる全ての可能性に責任がとれないから、性交渉してはいけない。」
これは、こどもの世界だけではなく、おとなの世界でもあてはまることだと思います。2度目になりますが、世の中だいたいスペクトラムですから、20歳を過ぎて急に常識が変わるなんてことないでしょう。
しかし、世の中には「経験がないことが恥ずかしい」とか「童貞キモイ!」とか、そういう風土があります。あ、後者はちょっと過激??でもあるよね、そういうの。
世の中だいたいスペクトラムだと思ってる私的には、ならば言いたい。
「じゃあ何歳でそれを済ますのが適切なんだよ!?そんな言うなら公に定めろよ!!!?」
そう叫びたいのである。
だから、いっそ、学校教育で言ってやってほしい。
「性交渉に及ぶのは、起こりうるすべての可能性に責任がとれるようにしてからにしなさい。それからでも、決して遅くはない。もし、経験がないことを笑われたり蔑まれたりなんかしたら、そんな異性、やめておきなさい。むしろ、そんなあなたの堅実さやまじめさ、誠実さに魅力を感じてくれる人と付き合いなさい。」
そして、こんな常識が、世の中に定着してくれればいいんじゃないかと、個人的に思っています。
性的な行為の健康上のメリットとか、そういうことを主張する方とは喧嘩になる主張かもしれませんが、私は、こうあってほしいなと思っています。
長い話になりましたが、お付き合い頂きありがとうございました!!
2016/01/17 画像を追加し、行間などを修正しました。内容に変更はありません。
世の中だいたいスペクトラム
世の中、だいたいのことはスペクトラムだと思う。
スペクトラムといってもこれのことじゃなくて。
理系的にはこれであってるんだけど。
wikiさんで「スペクトラム」と引いてみるといろんな意味がある。
こちらがそのページのスクショ(フリー百科事典Wikipedia,2015/08/26)。
この中で、私の今いいたい意味は一番上の「連続体」にあたるのだろうか?
なんで主張しておきながら曖昧なのか、というのは、もうただ、申し訳ない。
ただ、私が良いたい「世の中だいたいスペクトラム」とは、
ものごと、AかBかじゃなくて、AとBの間にゆるやかに変化していく。
AとBの間にも、ちゃんと広がってるものがある。
……スペクトラムというより、グラデーションと言ってしまった方がいいのだろうか?
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ちょっと、極端な例を挙げてみる。
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これは、何色だろうか?
白だろうか?黒だろうか?
……灰色だろ??
これ、カラーコード「#808080」。
白(#FFFFFF)と黒(#000000)のちょうど真ん中みたいな色。
つまり、究極の灰色(笑)です。
では次、これは、白でしょうか、黒でしょうか?
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……灰色だろ??(2回目)
さっきより白いけど、灰色ですよね?
美術とか専攻してる方からすればちゃんとした色の区分があるのかもしれませんが…。
これのカラーコードは「#999999」。さっきより確かに白いです。
ここでもし、世の中のことをスペクトラム状に考えなかったら、この白めの灰色は「白」です。
さっきの「究極の灰色(笑)」が白と黒の真ん中で、そこに境界線が引かれているのならば、残念ながらあいつは白です。
あの「究極の灰色(笑)」よりもちょっとでも白ければ「白」だし、ちょっとでも黒ければ「黒」です。
……つまり、そういうことです。
物事、明確に境界線が引ける違いなんてない。
分類して考えるために、ある値を基準に線を引いているだけ。
だから、境界線を越えてすぐと越える直前なんて、たいした違いはない。
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最後に。
だから、ちょっと考えてみてほしいと思う。
すべての人が自分とは全く違く隔絶された人ではなくて、スペクトラム上に変化した先にいることを。
「子どもって~~だよねー。」と言うとき、子どもと大人の違いなんて20歳という境界線を引いただけだということ。
19歳も20歳もたいして変わらないし、20歳も21歳もたいして変わらない。
そう考えていくと、みんなたいして変わらない。
誰かを異常だと思うとき、その異常さもスペクトル状に変化した先にあること。
自分は正常であいつが異常、そう思っていたのに、自分はもしかしたら、境界線のギリギリで正常側にいるだけかもしれない。
そう思ってみたら、もっと、人のことを想えるんじゃないかな。
……という、ただの23歳女子の思うことです。
私のという1人の1意見でしかないのに、あんまり偉そうなこと言っちゃいけないね!(*´ω`*)
お元気ですか?と、
そう、声を掛けたい人がいる。
できれば、一緒に酒でも飲みに行きましょう、と言いたい。
しかしながら、それが躊躇われるのにはちゃんとした理由があって。
その方とは、相談窓口で会った方なのである。
……これがどういう意味かお分かりいただけるだろうか?
彼女にとって、私と話すことは「仕事」だったのです。
仕事で金銭をもらって成り立つことで。
親しく話はさせてもらったけれども、それも仕事の範囲内かもしれない。
私が、彼女とプライペートで親しくさせてもらおうとしたら、彼女にとって、仕事とプライベートの境界を破壊することになるかもしれない。
そして同時に、彼女はカウンセラーである。
その、窓口相談の仕事はカウンセラーではないけれども、彼女はカウンセラーなんです。
私に「准ケアストレスカウンセラー」の資格を紹介してくれた、同じ資格を持つ人なのですよ。
准ケアストレスカウンセラーのテキストの中で、一番印象的だった文章が、
「カウンセラーはクライアントに対し、カウンセラーとクライアント以外の関係性を持たないようにすることが必要で、他の関係性(家族、友人、恋愛関係など)を持ちそうになったら、その関係性かカウンセリングかをやめるべき」
というような文章があった。
……恋人やめる、友達やめる、まではわかるとして、家族やめるってどうやんの!?
とか思ったことはこの際おいておいて。
つまり、カウンセラーにとって、仕事の関係とプライベートの関係は分けるべきもの。
他の職業よりも、その壁が分厚い。
その職業上、持ち合わせていなければならない壁をぶっ壊しにくる、迷惑な客にはなりたくないものですよ。
じつは最近、今、ここで思い浮かべた彼女に限らず、こういう関係の人が何人かいる。
ここ数年、心理や精神医療分野の人に関わっているからだろうかね?
こんな人たちと、普通にお友達になる手段が私の中で数年前から1つだけ浮かんでいる。
私も心理や精神分野の職業の人になって、同業者として再会すること。
これが、こんな人たちとカウンセラーとクライアントという壁を越えてお友達になる唯一の手段なんじゃないかと思ってる。
……べつに、友達になるためだけに、こういう仕事をしようと思ってるわけでは決してないよ?
もともとやりたいし、どちらかというと、「ついでに」みたいなとこがある。
そんな感じのことを、「お元気ですか?」と、彼女のブログを見ていつも思うから、私もブログでその思いを書いてみたところでした。
(「准ケアストレスカウンセラー」に合格したこと、彼女にまだ言ってなかったな…。)