ちさのの日常的思考

ふだん思ったこと何でも書いてるブログ。真面目なことから馬鹿らしいことまでやってます。「今回の記事も相変わらずだな!」くらいの気持ちで読んでくれると嬉しいです。

告白にはオリジナリティを。

告白にはオリジナリティが必要です。



(※今回の記事もあくまでも私の個人的要望の話です。)


告白、とは恋い焦がれる想いを相手に伝えること。
募らせた想いのたかちも、その想いを伝えた先に望む関係性も、人それぞれ。

並々ならぬ、留めておけぬ、そんな想いを打ち明ける言葉が、ありふれた定型文で足るわけがない。
きっと、「好きです、付き合ってください」なんて定型文では伝えきれない想いがそこにあるはずだ!

という訳で(?)、今回はちさのの思う告白についていろいろ語ってゆきます!!


* * *


「個性的に」ではなく「君らしく」。

今回のタイトル的に、これを言っておかないと誤解しか生まないと思います。

「告白にはオリジナリティを」。
これが今回のタイトルですが、私が欲するオリジナリティとは、「聞いたことないような個性的な台詞を考えろ」ということではなくて。

ただ、「その恋心に素直にちゃんと向き合ってそれを言葉にしたら、自然にオリジナリティあふれるあなたらしい言葉になるでしょう?」ということです。

だから、無理して、らしくもないこじゃれた言葉を探すのとはむしろ真逆で。
……素直な言葉を探したら、結果としてすごいこじゃれた台詞になったとかなら全然ウェルカムなんだけど。


* * *


ちさのにオリジナリティのない告白をすると、

誰が得するのかは知らないが、ここでちさのにオリジナリティのない告白をするとどうなるのかを説明しておきます。
……別に、私に告白をするなら参考にしてね☆、とかそういうことじゃなくて、私の考えの立ち位置の説明の一環としてなので、誰も得しないかもしれないが語らせてください(笑)。

まぁ、よくある定型文、
「好きです、付き合ってください。」
と、ちさのに言ったとしよう。

そうしたら、だいたいこんな対応をします。
(※口調に関しては完全に遊んでます。)


「ほぅ。では君は、私と“付き合う”ということがしたい、ということでいいんだな?
さて、ここで質問だが、君にとって“付き合う”とはどういうことだろうか?

『普通に付き合う』?
……だから、私は君にとってのその普通とやらが知りたいんだよ。
普通って何なんだよ。
私と付き合いたい、つまりなんらか私との関係性を変えたいというなら、その変更後の関係性を述べろと言ってるんだよ、わかるかい?
関係性が実質、どう変わるのかわからないと、その“付き合う”とやらに承諾も何もできないだろ?

『よくわからない』?
じゃあ言うが、付き合うって肩書きだけでいいのか?
肩書きだけ彼氏彼女ならそれでいいのか?
連絡頻度も今までどおり、別にスキンシップもとらない、一緒に遊びに行ったりもしない、これでもいいのか?
よくないんだろ?ということは、お前にとって“付き合うってこういう関係性”という考えが肩書きだけじゃなくあるんだろ?
だから、それを述べろと言っているんだよ!

『好きだから付き合いたいだけ』?
じゃあ述べろ、さぁ述べろ!!
お前にとって好きって何だ!!!
何で好きだと付き合うんだ!!!
やっぱり付き合うってなんだ!!!」


……クールな感じの台詞に仕上げようと思ったけど、ヒートアップしすぎてできなかった。

まぁ、なんというか、簡単にまとめると、
「好きだと、付き合いたいというのならば、貴方にとっての好きと付き合うということが何なのかを教えてください。」
ということです。

ちなみに、これはちさのと付き合う際の論述試験なので60点以上の解答をしないと交際の承諾は得られません(笑)。
この試験の受験をした人が現在1人だけいますが、彼は59点でした。


* * *


月が綺麗ですね、と死んでもいい。

「月が綺麗ですね」と「死んでもいい」。
それぞれ夏目漱石二葉亭四迷が“I love you.”の訳に用いたとされる言葉ですね。
まぁ、実際のところ、前者は出典がなく後世の創作のようで、後者はロシア語であるうえに“I love you.”に直接的にあてはめられる言葉ではなかったようですが。

さて、もともとどのような言葉であったかはとりあえず置いておいて。
現代ではこの2つは「代表的なオリジナリティあふれる告白の定型文」であると思います。
しかし、どうせ使うならその言葉の個性を最大限活用してほしい。
ただ、告白といったらこの台詞、というように使ったら、伝えられる想いなんて“好き”というありふれた曖昧な言葉だけ。

というわけで、ここでちさのが思う、この二つの言葉の活用法を語っておきます。

※実用向けといよりもラブコメ向きです。


《月が綺麗ですね》

この言葉は、告白として使うよりも、両想い、むし夫婦くらいの息のあいかたをしている2人に使ってほしい。
月夜にただ2人でよりそって、「月が綺麗ですね」とか言って、「そうですね」って返して、それ以上なんの言葉も交わすことなくただ月見上げていてほしい。
ただそばにいるだけで、相手の想いなんてお見通しな2人に使ってほしい。


そして、もう1つ。
これは告白として使うというより、この言葉を用いてラブコメするときに使ってほしい使用法です。
……むしろこんな話をつくって私に見せてください。

状況として2人は両片想いで。
2人で夜道を歩いていたら、あまりに月が綺麗だったから、うっかり「月が綺麗だね」って言っちゃって。
言っちゃってから、これが告白として用いられることもある台詞だと気づいてはっとして。

言われた方も、月が綺麗ですねって告白があることが頭をよぎって一瞬、ドキッとして。
でも、すぐにそんなはずないって思い直すけれども、目の前には焦って不自然になる相手がいて。
これは、ホントにそうなのか、なんて思っちゃったりして。

言っちゃった方も、相手のそんな反応を見て、もしかして両想い?、なんて思っちゃったりして。

そんな感じで相手の反応を互いに気にして、でも確認する勇気なんてなくて。

……みたいなラブコメがみたいです。
ぜひとも書いてください。
既にあるなら教えてください。


《死んでもいい》

この言葉は、解釈によって如何様にも使えますね。
だがしかし、私はこの言葉を「狂おしいほど愛したあげくの言葉」として使うのが、この言葉の特性に従っていると勝手に思っています。


君といる今が狂おしいほど幸せで、このまま死に落ちてしまってもかまわない。
そんな想いをこめて、「死んでもいい」。

結ばれた先には死しかない状態であっても、あなたと結ばれていたい。
そんな想いをこめての「死んでもいい」。


このあたりが、この言葉の特性に従っているんじゃないかと勝手に思っています。

他に「死んでもいい」と言える状態といえば、「貴方を守って死ねるなら本望だ」みたいなときですが、これは告白というよりも忠誠だろう、ということでちさの的にはあまり好みではないです。
それに、命がけで守る状況下で「死んでも構わない」というのはわかるんだけど「死んでもいい」ってなんか違うかなぁと。
微妙なニュアンスだけど、何かが違う。
あ、「死んでもいい」って言葉が女性的なのか。そういう違和感か。

……となるとやっぱり、私の思考が「狂おしいほど愛したあげくの言葉」に戻ってくる。
「この命はあなたのためにあったと想いながら死にたい」的な。


* * *


事実は小説よりも奇なり。

ここまで、私なりの告白論を語ってきましたが、最後はこのタイトルです。

途中で、実用というよりもラブコメだろ、みたいな話を挟みましたが、事実は小説よりも奇です。
私の中で殿堂入りしている告白の台詞(創作物内のもの)があるのですが、それよりも実際にあった告白の台詞の方がオリジナリティあふれて小説のようだったりもします。

ある意味でそれも当然で、オリジナリティあふれる台詞にするにはそれを告白として理解して、感動的に仕上げるための伏線が必要です。
小説においては、その告白よりも前のページでそれが起こればいい。
せいぜい数百ページの範囲内で。

しかし現実で伏線を張る機会というのは無限にあり、その相手と関わる中でいつでもその告白につながりうる伏線は生まれたりします。
それが意図的にかどうかはわかりませんが。

ならば、事実が小説よりも奇であることは、ある意味では当然ではないかと思います。


さて、今回は「告白にはオリジナリティを」ということでお送りしました!
とりとめのない話でしたが読んでくださりありがとうございました!